ナンパ師仙水が誕生するまで

仙水ってどんな人?

街に出る。
視界に映る、大勢の女性達。

「あの女、巨乳だな。やりてぇ」
「あのコ、めっちゃ可愛いな。抱きたいぜ」
「あの清楚系OLはセックスの時はどんなエロい仕草するんだろう」

 

そんな妄想を頭に浮かべてはいませんか?
俺はそうです。
そして「ナンパ」というものに従事して早20年。
今では街に出たら、上記のような妄想をかなりの確率で、「現実」のものにする事が出来るようになりました。これは、世間一般からしてみれば、にわかに「信じ難く」、「羨ましい」事だと思います。

あなたも、目の前を過ぎるエロ可愛い女の子と、ただでセックス出来ると考えたらめちゃめちゃテンション上がりませんか?

しかし、多くの男たちは、このような妄想を「妄想」のままとして、一生涯を終えていきます。

俺も、今でこそこのような羨ましがられる生活を手に入れましたが、
ナンパを始める前の~18歳までは。むしろ、ナンパデビューをして数年経った~25歳くらいまでは、こんな風になれるなんて夢にも思っていませんでした。

読者の皆さんは、俺の事はもともとイケメンで、陽キャで学生時代からモテてたタイプだと
思っているかもしれませんが、まったく違います。

死ぬほど陰キャでしたし、彼女も当然出来た事もありません。
そして、ナンパデビューしてからも8年くらいずっと芽が出ませんでした。

当時ナンパブログを書いていて、「一流のナンパ師になる」
と日々吠えてはいるものの、活動結果がまったくついてきてなかったので、
ブログのコメント欄に「口だけ野郎だな。お前は一生芽が出る事はない」
とまで書き込まれていました。

思えばこの時の悔しさもかなり原動力になっていましたが、
それほどまでにセンスがなかったのです。いわゆる完全に落ちこぼれです。

しかし、そんな俺でも徐々に力を付けていき、コツを掴んで訓練をしたらここまで
成れるんだと言う経験は、かならず多くのナンパ師を励ます事が出来る。

高卒1年目から活躍する田中将大ではなく、何年もかけて目が出る筒香のような、
劣等生だった俺だからこそ語れる事があると思うんです。

ここでは、俺の自己紹介も含めて、
いかに陰キャだった非モテが、ここまで成り上がる事が出来たかを書いていきたいと思います。

幼少期から、その時々で印象に残っているエピソードなども交えながら、
どのような経験を得て今のナンパ師という人格形成に至ったのかを知って頂けたら幸いです。

普段はカッコつけてクールに文章書いていますが、
いざ振り返って書いてみても死ぬほどダサいし恥ずかしいです。

ただ、ここまでヤバかった人間が、ここまで成長してナンパ師として成功を収めていると言う事は
皆さんにとって大きな希望になるはずです。

だからこそ、包み隠さず話しました。

また、ナンパ師と言う事で、アダルトなエピソードを主として書きました。
詳細に振り返っていたらかなり長くなってしまったんで、目次から気になるところからでもゆっくりと数日かけてお読みください。

 

 

 

話し相手はウルトラマン

 

俺は1人っ子として生まれました。
厳密には腹違いの姉、兄が居ますが、一緒に暮らした事はありません。よく、女兄弟が居た奴ってのは、女耐性が出来てる為非モテになりずらいって言いますよね。
俺に女兄弟がもし居れば、その後の悲惨な運命は少しでも変わったのかもしれません...

小学生の頃は、1人っ子故に、人形で遊んでいました。
ウルトラマンが好きでしたね。それに出てくる怪獣も好きでした。
ピグモンとか、バルタン星人とか。

その人形を手に取って、ひたすら格闘させていました(笑)
1人っ子あるあるとして、妄想が得意になるんですよね。
話相手が居ないから、必然と空想上で楽しむしかない。
小学生の頃、空想の小説を作るコンテストがあったのですが、
俺が作った訳のわからない登場人物達がアホみたいに面白おかしく冒険していく物語が
周りからかなり絶賛されました(笑)

自分だけかもしれませんが、1人っ子だと1人で居る事に慣れてるんですよね。
だからこそナンパでも、完ソロでガンガンやれるのかもしれません。

 

 

性への目覚め

 

後のナンパ師へとなるフェーズにおいて重要な要素。
女への執着心。
いつ頃から、「性」というものを意識し出したのでしょうか。

たしか、小4の頃でしょうか。
その時の担任が、推定Dカップ。20代半ばの
和久井映見似の先生でした。

 

まだシコった事もない。セックスというものも知ってたかどうかよく覚えていないが、
とにかくその先生の胸ばかりを見ていました。

「やりてえ」という感情が当時あったのでしょうか。
それは記憶が曖昧ですが、明らかにエロい存在として、見ていた事は事実ですね。

もし、今当時の身体に乗り移れるとしたら、
完全にAVのショタ君シリーズみたいに、

「先生~、なんかあそこが痛いんだよ~、どうにかしてよ~」

と確信犯として攻め込んだ事でしょうがね(笑)

いや、今考えたら勿体なかったですね。
ガキという特権で、合法的に攻め込めるんですからw

 

 

初オ○ニー

 

そして、いよいよ性というものに触れます。
それは小6の時でした。
その頃はすでにもうその存在はわかっていました。
男と女は、裸になっていやらしく交わるというもの。
それに対しての強烈な願望も生まれていました。

当時、悪友が居ました。T君です。
学校終わり、一緒に森とかに落ちているエロ本を収集していました。
みんなも経験ありますよね?(笑)

当時は、今のようにスマホで簡単にエロ画像なんて見れません。ましてや自由に深夜テレビなんて見れない。

水着の切り抜きですら、糞エロく感じたものです。
ましてや裸の絵なんてもう....

今でも鮮明に覚えています。
小さい森の横にあるテニスコート。
その裏。
小6の俺たちは、ズボンを下ろしました。
右手にエロ本。
左手にすっかり角度だけは一人前な息子。

「一緒にオナニーしてみようぜ」

今思えばなんやねんその会話はw
と突っ込みたくもなりますがw、当時の俺たちはマジだった。

結果としては、 イった快感はあるものの、液体は出ませんでした。

それ以降、俺は猿になりました。

 

中学時代

 

 

段々と、周りの同級生の女も発育してきました。
基本的に地元では小~高と同じ奴等が集まるので、(まぁ高校は結構散ったかも)
その発育の過程を観察は出来ましたね。

 

部活では、バスケットに汗を流しつつ、
隣で活動している女バスの胸揺れを眺めつつ。

女に対する興味は1段と増していました。
ただ、モテる事はありませんでした。
基本的にかなりの人見知りだったので、
対異性に関してはもうガッチガチに固まってしまい会話すらままなりませんでした。

 

友人の姉貴を夜這い!?

 

悪友のT君とは、同じバスケ部も所属して、中学になっても相変わらずエロ活動に従していました。

中でも、今思えばこれ、かなりヤバイ事だよな
って事も、当時はやっていました。

T君には、姉が2人居ます。
で、その内の1人が結構可愛かったんですよ。
高校生くらいかな。

しかしね、俺が他人の姉貴を「可愛いなぁ、やりたいなぁ」と思うのは普通ですが、

兄弟であるT君が
その姉を女として見るのは、おかしいですよね?...

ある日、T君はとんでもない事を言い出しました。

T君「夜な夜な姉貴の寝室に忍び込んで、パンツを脱がしている」

俺「ええ!?なんやねんそれ!?」

T君「一緒に、俺んち泊まってやらないか?」

 

いやぁ、今こうして大人になって振り返ってみれば、こいつとんでもねぇこと言ってるなw
と思いますが、当時まだ世間をよく知らない糞ガキの俺は、その好奇心が圧倒的に勝って、
その提案に乗りました。

 

いざ、忍び込む

 

いや、今書いててこれ公開していいんか?(-_-;)
と少し不安になったりもしますがw、かなりあり得ない体験だと思うので思い切って話します。

当日。
T君宅に泊まる。
その、姉貴と挨拶をする。
ショートカットで、目がくりくりとしててアイドルみたいだ。

 

(この子から化粧を取った感じですかね)

そもそも、この姉貴とT君の関係は大丈夫なのか?
姉貴も気付いてないってことあるのか?

一体どうなってしまうのか。

そうして、夜中になる。

泥棒ですか。っていうくらいの忍び足で、
姉貴の部屋に入る。
泥棒っていうか、完全にレイ〇の構図ですわ...

そして、まぁここから先は生々し過ぎて描写は控えます(笑)
結果から言えば、T君がその姉貴の生のアワビに指をブチ込んでいました。
俺はひたすら硬直して見ているだけでしたw

今思えば、絶対気付くはずだよな。
気付いていながらも、暗黙している。
かなり闇が深い兄弟だね...

以降の話は聞いていませんが、やってる可能性もあるなこれ...

 

T君は、ぶっ飛んでいました。
そしてそれを普通に受け止めている俺もぶっ飛んでいたのだと思います。
今もかなりぶっ飛んでいると自覚していますが、思えばこの頃からおかしかったんですね。

 

相互フ○ラー

 

 

ツイッターの相互フォローみたいに言いましたがw
もう一つぶっ飛んだエピソードを。

頭の中がエロい事でいっぱいだった俺たちは、
当然ながら、フェラの存在が気になっていました。

「どんな感じなんだろうな」「めっちゃ気持ちいいらしいけどな」
すでに、オナニー鑑賞会も開いている俺たちです。
基地外行為がエスカレートするのも時間の問題です。

T君「一緒に、フェラしてみようぜ」

当時、俺はこの提案に至極普通のテンションで承諾してたのですが、今大人になって振り返ってみると、何をしてんだと自問自答を繰り返します(笑)

今なら絶対無理だわw

しかし当時は頭の中がエロい好奇心でいっぱいだったので、止まる事を知りません。

子供は警戒心より好奇心が強いと言いますが、
その通りなんですね~。
だからこそ、18歳くらいの女が1番ナンパで釣れやすいんでしょう。

 

団地の階段。

俺のナニを、T君が咥える。
そして、俺も、T君のを咥える。

ちなみに、69の形にはなってませんw
あくまでも順番にですw

ただ、さすがにイカせるレベルの動きはせずに、
ただ咥えたくらいで終わりました。

 

そしてこの時から、俺はノンケとなりました。

嘘ですw
女の子が大好きですよw

 

初恋

 

こんな基地外行為を繰り返してるヤバイ中学生でしたが、人並みに恋もしました。
初恋でしたね。
同じ女バスのYちゃんです。

色白、巨乳、茶髪。
当時染めてたのかどうかはわかりませんが、男子中学生からしてみればとても刺激的な存在でした。

 

(椎名そらに似てたな。胸も中学生当時Dくらいはあったはず)

当然、モテまくりのマドンナ的存在でした。

相当数、シコりました。
Yちゃんで。
部活中も、常に目で追っていました。

しかし、学校のマドンナ的な存在にはね、
当然そうなってるんですよ。ええ。
もろ映画の世界やないか。

当時学校一悪だったK君と、付き合っていました。

不良がモテる。
番長が、マドンナをゲットする。
そのまんまですよ。

告白すらも出来ませんでした。
K君とは、小学生の頃ちょっとだけ仲良かった事もあり、より強烈な劣等感、嫉妬心を感じましたね。

K君は、Yちゃんのたわわなおっぱいを毎日にように揉みしだいて、
チン〇も咥えさせて、そしてセックスをしている。

 



そう考えると発狂しそうになりました。

そしてその悔しさを、妄想上でひらすらYちゃんを抱いて、シコっているだけ。

一体何をしているのか.....

 

 

小5で担任のおっぱいに目を奪われてから、歳月を重ねる事、日に日に、女に対する興味が大きくなっていく。

そしてそのピークは高校時代に頂点に達しました。

 

 

花の高校生活!?

 

小、中と仲良かった友人達も、それぞれ希望する高校へバラけて行きました。

T君とは一緒の高校に行きましたが、T君はすぐに不良の道に走ってしまったので、徐々に疎遠になってしまいました。

俺は、特に不良になる事もなく、ひたすらただの陰キャ。まぁ男子とは普通に仲良く喋ってたのですが、対異性になると一気に陰キャと化す。
脳内ではエロい事しか考えてないのに、いざ女の前に立つと緊張でマックスになってしまう。

高校生にもなると、かなり多感な時期です。
女子の発育もかなり良くなり、メイクも覚え、お互い異性をより意識し出します。

 

 

「~と~が付き合っている」
「屋上にコンドームが落ちていた」
など、性をリアルに感じる会話も多くなっています。

この時期に、異性とまったく喋れないというのは、かなり致命的な事です。
俺自身も、めちゃめちゃ意識していました。
中学時代はなんとなくシコってれば済む話でしたが、もうそんな事は言ってられない。

異性と喋れない=男としての死

それくらいに感じていました。

 

クラスの女子と話したい けど、話せない...

 

授業で、教科書を忘れるじゃないですか。
すると先生が、「じゃぁ隣の人に見せてもらってください」
とか言いますよね。

そんな時なんて、もう心臓バクバク。
話し掛けなれば..
しかし、緊張する....

「 キ、キョウカショ、、イ、イイカナ、、、」

 

あなた、留学生ですか?
くらいの勢いできょどりまくりながら、やっとの思いで見せてもらってました。

 

 

ある日、クラスの男女数名で、お泊り会みたいなものをする事になり、奇跡的に
それに俺が呼ばれました。3対3でしたかね。

今なら完全に乱○の匂いしかしないのですが、当時の俺はそんな楽しさよりも
不安でいっぱい。

で、なんだかんだ俺と女子一人を残して4人が買い物に行きます。
何という、神セパ....
なんて当時は思うことなく、

「いやいや、女子と二人っきりって、あり得へんやろ!」

完全にテンパりました。

そしてその間、奇跡の会話一言もなし(笑)

女子も俺のただならぬ挙動不審さに、話し掛けれなかったのだと思います。
で、みんなが戻ってきたらその女子も俺を除く男子等と仲良く話してましたし。

結局俺だけその日は女子と話した記憶がありません。
みんなでお泊り会行ってこれは有り得ません。

 

 

ともかく、話せなかった。
絶望的に。

ぶっちゃげ、周りで楽しく女子と話している男子が羨ましくてしょうがなかったですよ。
ほんとに。

 

親戚にすら陰キャ

 

クラスの女子に限らず、それは外に出ても同じ。
親戚の女の子にすら、まったくのポンコツと化していました。

俺は、幸いな事に、親戚に同年代の女子が多いんですよ。それも、みんな結構可愛くて。

合計8人くらい居るんですが、奇跡的にみんな可愛いという何とも恵まれた親戚環境にありました。

そんなん、年1回正月集まるのめちゃ楽しみじゃないですか?

俺も、今ならすげー楽しみだと思います。
ちなみに、大人になった今はまったく会ってません。

親戚ですが、あわよくば口説きかねません。
口説かないにしても、めっちゃ楽しく過ごせると思います。

 

しかし、当時の陰キャ童貞糞野郎の俺は、
そんな非モテを解消する絶好の環境に居るのにも関わらず、親戚の女の子にすらも緊張してまったく喋る事が出来ませんでした。

 

俺はひたすら寝たフリをしてました。
思い出すだけで、かなり切ないです...

 

完全に致命傷です。
ほんと、自己嫌悪しますよ。
本当は、喋りたいんですよ。
めちゃめちゃ。
でも、自分の意志とは裏腹に、細胞から陰キャが出てしまう。
話かけたいのに、顔が紅潮して、緊張して、言葉が出てこない。

 

マジで、重症ですよこれは。

そんな陰キャ童貞に、トドメを刺す事態が起こります。

 

 

 

忘れられない屈辱

 

高校も3年生になった頃です。
入学から至るまで、女子との会話ほぼなし。

せっかくの共学の利をまったく活かすことなく、
無駄とも言える2年間を過ごしてきました。

当時俺は、廊下で紙屑を丸めて友人達とサッカーをして遊んでいました。

そんな中、球がコロコロと教室内の、女子グループの机の下に転がっていきました。
その女子グループは、ちょっと不良少女気味で、
学年内のヒエラルキーの上位に君臨してるような奴等でした。

 

(リアルこんな感じっす)

 

距離的に、取るのは俺の役目。。
球は、完全に女子グループの机の下。
スカートの真近。
黙って取れる距離ではない。

「ま、まじか.....」

一般人なら。
至極普通の、一般男性なら、

「あっ、ごめんね~」
と言って球を取る。
それだけで済みます。

しかしそこには一般をはるかに凌駕した糞非モテ童貞陰キャムッツリ野郎が存在します。

 

女子グループの前に立ちふし、

俺「あっ...」

そのまま硬直する。

女子グループも、
「なんだこいつは?」
と、蔑んだ目を投げかけてくる。

今まで、会話は出来なくとも、直接馬鹿にされたとか、舐められたみたいな経験はありませんでした。

しかしこの時、初めて女子からはっきりと
この陰キャ野郎に対して

「蔑みの目」
が向けられました。

その後の記憶はありません。
球を取ったのか取ってないのかも。

ただ、この時の記憶のみが強烈に20年以上たった今でも鮮明に残っています。
とてつもなく、自分がみじめでどうしよもなかった事が。

 

流石に、このままではヤバい

 

この問題は、深刻である。
軽いコミュ障みたいな話ではない。
俺が女に興味がないのなら、このままでも別に実害はないですが、
残念ながら死ぬほどに女に興味を持っている。やりたくてたまらない。

この頃、完全にセックスというものを意識していたので、もうやりたくてしょうがありませんでした。

 

 

校舎内でもろこんなの見ましたよ。
1週間はこれで抜きました。

 

 

小6でオナニーを覚えて、そこから毎日猿のようにシコり続けて早6年余り。
そろそろ、その代替行為では満足出来ないレベルまで来ています。

変わらなければ。
女性恐怖症とも言えるこの症状。
克服しなければ、悲願のセックスを獲得することは出来ない。

 

出会い系やってみる

 

高3にして、初めて携帯を手にした俺は、ここぞとばかりに出会い系サイトというものに
手を出しました。
リアルではまったく女と対峙する事が出来なかったので、ネットの世界でまずは慣らしていくしかない。

当時の出会い系サイトは、今のマッチングアプリみたいにプロフも作り込んで、盛り写メも
作ってなどする必要もなく、適当に「友達募集~」
みたいな感じでも会えちゃくらい、緩かったです。

・メル友クラブ
・エキサイトフレンズ

確かこんな名前でしたかね。
スタービーチも有名でしたが、やってなかったですね。

 

初めて女子とデートする

 

リアルの女子とまったく話す事が出来ない俺でしたが、ネットぴこぴこやってれば
デートを漕ぎつける事も出来ました。

ポンコツとも言えるほど異性へのコミュ力がなかった俺が、初めて女子とデートします。

1個下の高校2年生の女の子でしたね。
顔はいまいちでしたが、胸がCカップくらいあった気がします。

 

(制服で着たので、こんな感じにブラが透けてた。エロす)

 

 

出会い系で、女と会う時の緊張感、あれ良いですよね。
俺も今ではスト一本ですが、あの緊張感は好きでした。

最寄り駅で待ち合わせて、
そして俺がチャリ漕いで、女が後ろに乗る。

俺「疲れたなぁ」
女「いやぁ、後で私も汗かくんだから」

??

当時、この意味をよく分かっていませんでした。
いや、もしかしたらわかっていたのかもしれませんが、非モテ陰キャ童貞ゆえに、
何て答えて良いかわからなかったのかもしれません。

そのまま、俺の家へ。

特に、やる約束をしたわけではありません。
しかし、流れは完全にやる感じ。

お互い、もじもじとした雰囲気が続く。

 

 

そして、解散w

 

今でいえば、完全に1即を逃しましたw

しかし当時はまったく経験がなかったし、まさかこんな流れになるとは思ってもいなかったので、
完全にフリーズしてしまいましたね。

 

なんてもったいない事をしたんや...

 

とうとう童貞を捨てる

 

その後、何人か会いましたが、いわゆる健全デートを繰り返すだけで終わりました。
まぁ、会話すらもままならない奴だったんで、これはこれで良い経験値になったのかもしれません。

しかし、本音を言えば、セックスをしてみたい。

童貞を捨てたい。
穴に、ナニを突っ込んでみたい。

出会い系サイトで童貞を捨てるのはいささかダサい気もしましたが、
今の俺にはこれしか方法はない。

今度は、明確にセックス目的として投稿文を出しました。

当時の俺の、その渾身の文章を公開します。

これです。

 

「こんちわー、エッチしようー」

 

 

これだけです(笑)

 

 

これをひたすら女に投下しました。

こんな舐め腐ったネットナンパは今ではまず多分通用しないでしょうが、
当時は緩かった。

返信が来ます。

女「いいよ、いくら?」
俺「いや、お金なしです」

女「まぁ、いいよ」

何という浅いやり取りで、やりアポが確定しました。

そして当日。現れたのは、ちょっと太ったギャル風の子でした。

とてつもなく、冷めてたのを記憶しています。
今でいう、食い付きなどまったくなし。

そのままホテルへ。
人生初ホテル。

「キスはしないで」

騎乗位のまま、跨ってもらい、5秒ほどでイキました。

・キスグダ(笑)
・食い付きゼロ
・出会い系

 

糞みたいな童貞喪失ですがw

夢にまで見た、セックスの感触。
格別でしたね。

 

出会い系を辞める

 

その後、何人かと会ってセックスしたりしました。

しかし、出会い系をやってて思った事は、

可愛い子来ないな。

女とアポるのに関してはとても優れたツールなのですが、いかんせんそのレベルが。
そもそもリアルの良い女は、ネットにわざわざ出会いを求める必要がありません。
まぁ陰キャで可愛い女も居る可能性ありますが、出会い系で釣れる女はレベルが低いというのが
当時の一般的な認識でした。

 

もっと、可愛い子とやりたい。

 

そしてもう一つ。
いくら出会い系で会おうとも、リアルの世界ではまったく状況は変わらなかったと言う事。

日曜日、出会い系で女を抱いたとしても、月曜学校に行けば、また陰キャ野郎に戻ってしまう。

 

逃げていては駄目だ。

リアルの世界で、戦わなければ。

 

ここから、俺の運命は動き出していくことになります。

 

ひたすら道を尋ねる

 

 

リアルで戦っていくにしても、どうしてもクラスの女子に話かける事は出来ません。
稀に、気合を振り絞って一言くらい話し掛ける事は出来ましたが、それが限界でした。

厳しい。
別のところで、練習をしなければ。

そう思った俺は、見知らぬ女性に声をかける事にしたのです。

そう。
最初は、ナンパをするためにナンパを始めたわけではありません。
クラスの女子と仲良く話す為に、まずは見知らぬ女性に話しかけて練習しよう。

このエピソードを言うと、よく驚かれます。
「その発想が普通じゃないですよね」

しかし、俺的には至極当たり前の思考でしたね。

まずは、道聞きです。
そもそも、街で見知らぬ女性と仲良くなるという発想、いわゆる「ナンパ」
という概念は、当時そこまでは考えられませんでした。
純粋に、まず、自分から会話を仕掛ける事に慣れたい。それだけでした。

しかし、と言ってもやはりそこは路上。
見知らぬ人に話かけるのにもそれはそれで抵抗あります。
なので、最初はおばちゃんから始めました。

「市役所はどこですか?」

道聞きに限らずとも、

「いい天気ですね~」

気さくな人間になる。
根本のところからの治療ですね。

そして、段々今風な女性にターゲットを切り替えていく。

それを繰り返していくと、段々人見知りが治っていく感じがしました。

 

ある日、公園でバスケットをしている中学生くらいの女の子がいたんですよ。
そこで俺は、

「へい、パス」

と話かけました。

昔の俺だったら、考えられないような行動です。

徐々に、自分が変わっていくのを実感していました。

 

あわよくば仲良くなれないかな

 

 

少しずつ、自分から仕掛けていく事には慣れていきましたが、
季節がもう3月。
高校3年生は長期休みに入ってしまいました。
もう、クラスの女子と話す機会がありません。

しかし俺は、当初「クラスの女子と仲良くなる」
と言う目標よりも、
この街で見知らぬ女性に声をかけるという刺激にどっぷりとはまっていました。

 

ひたすら道聞きマンと化していましたが、
これは、何かに似ています。
何かの行為に似ています。

そう、ナンパです。

ナンパという言葉はしっていました。
しかしその意味は、渋谷でギャル男がギャルにチャラく声をかけるもの。

 

こんな感じの人等が、

 

こんな感じの子に声を掛ける。

 

 

黒髪でお洒落もしてない陰キャ野郎の俺にはまったく正反対な話だ。
そう思っていました。

しかし、今、俺は間違いなく、ナンパに似た行為をしている。

このまま、道聞いた子と仲良くなれないかな?

そんな思いが徐々に湧き上がってきました。

 

 

ナンパ、出来ねぇ

 

 

あわよくば、仲良くなりたい。連絡先を交換したい。
ちょっと、誘ってみようかな。

そう決意した俺は、いつもの道聞きから、

その後「よかったら友達になりませんか?」
というセリフを付け加えようと考えます。

いつものように、見慣れた街を歩く。
可愛い子を見つける。「この子と、仲良くなりたい!」
声を掛けます。

 

「あの、すいません、この辺りに図書館あるの思うのですが」

「あ、はい、どこどこをどうで~」
「ありがとうございます!」「あっ、あの...」
「はい?」
「....  あっ、いや、それでは!」

 

 

く~~っ、誘えねぇ!!

 

道聞きは何なく出来るようになった。
しかし、その先が難し過ぎる。

「道聞き」
というごく普通な行為から、
「ナンパ」という圧倒的行為に切り替わる。

ようやく栽培マンに勝てたと思ったらいきなりセルがやってくるようなものです。

何度も、何日も、そのナンパをしようと繰り出すも、そのセリフを言うことが出来ない。

ここに、大きな壁が存在しました。

 

 

ナンパデビュー

 

 

春には大学進学が決まっています。
内気だった高校生活におさらばして、テレビで見るような陽キャなキャンパスライフを送る。
俺は生まれ変わるんだ。
それしか考えていませんでした。

しかし、その前にナンパというものをしておきたい。
ただの道聞きマンではなくて、きちんと誘う。
それでこそスタートライン。そこから俺の人生は始まる。

 

どれくらいの日が過ぎたでしょう。
ようやく、その後のセリフを発する事が出来ました。

その日は暖かく、3月半ばでも20度くらい気温がありました。
顔は高校生っぽく、しかし私服を着ていて胸の膨らみが魅力的な女性でした。

 

 

ダイエーから数百メートル離れたごく田舎の道でした。

俺「すいません、ダイエーはどちらですか?」

女「はい、~~ですよ」

俺「ありがとうございます!」

さ、さぁ、ここからだ。

もうこれ以上悔しい思いはこりごりだ。
今、全てにケリを付ける。

俺「あ、あの!トモダチに、、なりませんか?...」

女「えっ...すいません...」

俺「そうですよね..有難うございます!」

一目散に、その場から去りました。

がっつりと断れたわけですが、俺の心は充実感でいっぱいでした。

やっと、ナンパをしたぞ!

 

あの、陰キャ童貞野郎が、ナンパをするにまで至りました。
我ながら、ここまで来たのを褒めてあげたい。
クラスで女子に声掛けられても、まったく話す事が出来ず寝たフリしていた俺が、
街で見知らぬ女性をナンパするまで成長出来た。

後はこれを息を吐くように出来るようになる事。
そうしたらもう1人前の人間だ。

思えば、自己成長こそがナンパの目的でしたね。
今でこそただやりまくってるだけですが、

当時はナンパを通じて俺自身が変わっていく過程が確かなやりがいになっていました。

 

そして大学までの休み期間、ひたすら道聞きナンパを繰り返していました。

 

 

そして、いざ大学生へ。

 

 

地蔵する日々

 

 

さぁ!キャンパスライフや!
大学生になり、女たちは制服から私服へ。

校則も糞もない。
よりカジュアルに、異性間交流が出来る。

もう、昔の俺ではない。
以前よりは、緊張せず女子と会話することが出来ている。

 

しかし、いまいち自信がない。

そう、ナンパに成功してないのだ。
「友達になってくれませんか?」
と、バカの1つ覚えの如く誘ってはいるが、成功がしない。

誘う事が、以前の壁であったが、今はどうやって成功するか。
それが課題となっていました。

通学により、地元のローカルではなく、大きな街にも出掛けるようになり、
俺はいよいよ本格的に、街に突っ立ってナンパをしてみようと思った。

 

(これはイメージ。渋谷ではやってない)

 

 

学校終わり、大学生特有のクリアケースを持って、街に突っ立つ。
道聞きナンパも、結局は最終的にナンパに切り替わる。
だったらそんなめんどい事しないでいきなりナンパしてやろう。

完全に、ナンパ師です。
昔イメージしていた、渋谷でギャル男がギャルに声かけるようなナンパのイメージ。
ギャル男ではないが、まさか俺が同じような事をしようとしているとは。
運命というものはまったくわからないものだ。

ただ、1つ言えることは、強烈なほどの女への執着があったからこそ、自発的に誰からも
助言されることなく街にやってこさせた。

夕方。
1番人が通る時間帯です。
ターゲットは、無数に居る。

声かけは、慣れているはずだ。
数ヶ月、ひたすら道聞きを繰り返した。
誘う事だって出来た。

舞台が街に変わったからって、なんのその。
ナンパなんて、余裕だわ。

 

 

その日、俺が声掛ける事はありませんでした。
完全に、ブルっていました。
ナンパってやつに、イモ引いていました。

「なんで、こんなにビビってるんだ...」

まぁ、たまたまメンタルが弱ってた日だったのかもしれません。

明日こそはやってやるぞ。
そう決意し眠りにつきました。

 

そして翌日。
再び同じ街に。

今日こそは絶対声をかける。
ナンパなんか余裕だ。
俺は生まれ変わったんだ。
この先俺にはバラ色の未来しかない。
運命は、己の手で切り開くんだよ!

 

 

 

誰にも声かけれず。

 

 

そして、その翌日も、声を掛けれず。

 

所謂、地蔵です。
完全地蔵。
あまりの地蔵っぷりに、俺の前でお参りする奴も現れた気がしなくもありません。

 

 

 

「クソッ!なんでこんなにヘタレなんだ...俺は生まれ変わったんじゃなかったのか?」

 

 

本来、強烈なほどの女性恐怖症だった自分。
そう簡単に出来るほどナンパの世界は甘いものではありませんでした。

 

店内ナンパに活路を見出す

 

それでも、決して諦める事はしませんでした。
今思えば、何故ここまで意地になれたのでしょうかね。
別に、このナンパにコミットして、やりまくれるという確信もなかったのに。

ただ、負けず嫌いだったのでしょう。
そして、この街に出て声を掛けるという行為が、よほど強烈に刺激的だったのか。

この時から20年近くたった今でも思います。
ナンパは麻薬だと。
街に出て声を掛けるという強烈過ぎる刺激は、1度はまったらもう抜け出す事が出来ない。

 

 

どうしても声を掛けれない俺は、その原因が「周りの人の目にある」
という事を理解しました。

地元の道聞きナンパでは、そもそも街ではない道端なので、周りの目というものを気にした事がない。
しかしいざ街でのナンパとなると、圧倒的なほどにその他の人間が居る。
そいつらに、「ああ、あいつナンパしてらw」
と思われるのがとてもきつい。

元々ずっと人の目を気にしてきたような人見知りなので、
他人の評価というのがかなり気になるタイプです。これは、ナンパ師にとっては致命的な欠点です。

 

しかし、だったら人の居ないところで声を掛ければ良い。

マイナス思考であり、ポジティブ思考でもあった俺は、そう考えました。
人の居ないところ。
それはどこか。原点に戻って田舎の道端でも良いが、そこで直接ナンパをするのは
やや不自然だ。

いいところがあるじゃん。
店内だ。
街には、様々な店内がある。
イトーヨーカ堂、ダイエーと居ったデパート。
100円均一、本屋、スーパー。図書館。

 

 

 

 

そこは、必ず人から視角になる場面がある。
そこで、声を掛ければよいではないか。

そう考えた俺は、何時ものように、学校終わりに街に出た。

しかし、舞台は駅前ではなく、ダイエーの中。
そこの、本屋コーナーに居る1人の女性に目を止めた。
大学生風の女性は、バックを肩から掛け、そのヒモは丸い二つの膨らみを強調してた事を覚えている。

(まさにこんな感じw)

「やりたい...知り合いになりたい。。」

 

周りに客は居ない。
これなら、声を掛けれる。
意を決して、声を掛ける。
道聞きではなく、直接ナンパだ。

俺「あの、、おひとりですか?」
女「あ、はい」
俺「良かったら、友達になりませんか?...」
女「あ、すいません、彼氏が居るので。。。」

俺「そうですよね、わかりました」

撃沈したが、道聞きからではなく、直接ナンパが出来た。
その事が、とても嬉しかった。

その後、俺は店内ナンパに味を占めて、各地の店内に出没した。

そして、大学生活も1ヶ月くらい過ぎた時、ようやくその時はやってきた。

 

初番号ゲット

 

舞台は、とある街のイトーヨーカ堂。
1階にある花屋の横のベンチに座っていた、花柄ワンピースが可愛い高校生くらいの子だった。

(花柄ではないがこんな感じ)

 

この頃には、
挨拶→誘い
という一辺倒の捻りのない声かけから、
挨拶→世間話→打診と、世間話を挟むくらいの余裕も生まれていた。

クラスの女子と会話すらままならなかった非モテが、見知らぬ女性と世間話するまでに
成長している。

この、小さな一つ一つの成長が、確かな実感として噛み締めていた。

「こんばんわ。学生ですか?」
「はい、そうです」
「服装可愛いですね」
「有難うございます」
「待ち合わせ中ですか?」
「いや、親の迎えを待っているところです」
俺「そうですか。部活は何かやってましたか?」

今思えば、まったく捻りのない糞みたいなトークだが、当時の俺からしたら
精一杯のトークでした。

そして、いよいよ打診。
「タイプなんで、良かったら友達になりませんか?」
「、、はい、良いですよ」

そして、当時のガラケーの赤外線で、番号なりメアドをゲット。

初の、ナンパ成功です!

道聞き時代から換算したら、番号ゲットまで3ヵ月くらい掛かっています。
カメのように遅い成長ですが、当時ネットでナンパ情報を見る事もなく、誰からも教えて
貰う事もない手探りな状況の中で得た、確かな成果。

「よっしゃーー!!」
内心ガッツポーズしてましたよ。
携帯に、とうとう女の子の知り合いが出来た。
この事がとてつもなく嬉しかったのです。

 

えっ、友達になったんじゃなかったの?

 

しかし、まだまだ1流ナンパ師への道はほど遠いです。
ここから、幾つもの壁が俺を遮ってきます。

「友達になりませんか?」で友達になる。
普通に考えたらもう友達ですよ。遊びにも行きますよね。
高校なり学校で、友達になって番号交換したら、まぁ一回くらいは遊び行きますよね。

しかし、遊ぶ事が出来ない。
遊びに誘ったら、断られる。
ええっ、友達になったんじゃなかったの?

 

番ゲしてもアポれない問題の発生です。

初番ゲ後、何回も番号を交換しましたが、どれも会う事が出来ない。

ここに苦悩しました。
会わなきゃ、セックスなんて夢のまた夢じゃないか。
目標は、やはり何と言ってもセックスをしたい。
惰性で、たまに出会い系でやってもいましたが、やはりこのナンパって奴で、
必死こいて声かけて掴み取った可愛い子と遊んで、エッチをしてみたい。

ナンパ研究会だと!?

いくら番号をゲットしようが、会ってエッチしなければ話にならない。
いよいよ本格的にこのナンパというものの壁にぶち当たっています。

当時、パソコンを買ってもらっていました。
しかし特にネットに興味のなかった俺は、対して弄ることもなく放置していました。
そんな中、ふと、何気なく、「ナンパ」という単語を打ち込んでみたのです。
何かしら、この状況を改善する答えがあれば良いかなと。

すると、まず1ページ目にでかでかと出てきたのは、

「ナンパ研究会」

なるもの。

 

(これです)

 

俺はぶったまげました。
「なんやねん!ナンパ研究会って!?」
「ナンパを研究する!?いやいや、何を言うてんねん」
関東出身ですが、興奮すると関西弁になる癖があります。

速攻でポチっとしますよね。
出てくるのは、掲示板とやらに、同じく「ナンパをしている人間」らしき
人物たちが、一斉にナンパの方法について議論を交わしている。
軽いカルチャーショックでした。
ネットって、すげぇなと。
こんな世界があったのかって。

そして、さらにビビったのが、ナンパブログというもの。
日々のナンパの活動を、ブログに記している奴が居る。
それも、1人ではない。大量にだ。。。

俺が今現在、夢中になっているナンパって奴を、ブログに書き記している人間が
何人も存在する。

もう、一瞬で興味を奪われましたよね。
食い入るように、片っ端からナンパブログとやらを読み漁りました。
その日は結局、朝まで一睡もせずネットにかじりついていましたよ。

 

「即」という存在

 

 

その中で、得た知識。
知識というか、頻繁に、ブログ内、掲示板内で交わされている言葉。

「即」

即とは、即日にエッチをするという事。
つまり、ナンパした女の子とその日に関係を持つと言う事だ。

俺は、ナンパとは連絡先を交換して、後日会ってエッチするのが普通だと思っていた。

しかし、当日にエッチまで持っていく世界がある。
薄々、聞いたことはあったが、にわかにそれは都市伝説だと思っていた。
いや、出会い系サイトなら、お互いその気がある奴が約束を交換して、会ってそうなる事は
普通にあるが、ナンパはそんな約束などまったくしていない。
無から、これからどこへ向かうかもわからない女に声を掛けて、そしてその日にエッチをする。

こんな非日常的な、夢みたいな事があるのか。
始めて見掛けた女と、その日にエッチ出来るなんて。
凄すぎるだろ!

俺も、やってみてぇ!!

 

強烈なほどに、死にたいくらいに憧れました。

その、即ってやつに。

 

ナンパとネットの往復

 

とてつもない世界を発見してしまった。
これはもう後には引けない。
この世界で、俺も成功したい。

家帰って、ひたすらナンパ研究会を見て、
そして翌日ナンパする。そして帰ってひたすらナンパ研究会を見る。

永遠とそれを繰り返していました。

勉強なんて、どうでも良い。
大学は、ナンパをするための交通手段だ。
大学の女達もどうでも良い。
俺は、街に出て声を掛け、そこから仲良くなりたいんだ。

完全にナンパ中毒と化していました。

ナンパブログの中で、「トークの内容」を丁寧に乗っけてくれてたり
する人も居るので、そこからトークを勉強したりして、カメのペースながら、
順調にナンパの腕は上がっていたと思います。

 

悲願の、初即

いよいよその時は訪れます。
季節は夏。

 

 

ナンパ研究会と出会ってから、3カ月は経っていました。

その頃は、店内ナンパ。街角、とはいきませんが、それでも街角の隅でひっそりと声かけれる
くらいにはなっていました。
声かけ数は、まだまだ地蔵気味で、行ってもせいぜい10人くらいが限界でしたね。

いつも通り、定期を使って途中下車します。
この日は、ちょっとだけ街の規模が小さい、ごくごくありふれた田舎の駅でやる事に。

身長150センチくらい。小動物系の、可愛らしい大学生風の女の子でした。

 

(ぱるるに似てた)

「こんちわー!、どこ向かってるんですか?」←当時はひたすら敬語ナンパ
「無言.....」

いわゆるガンシカです。

しかし、なんとなく、違和感がありました。
ガンシカというよりも、ビックリして反応出来なかったみたいな。

なので、1度は離れましたが、今一度追いかけて声をかける。

そうすると、会話成立。
やはり、ただビックリされただけのよう。
彼女は大学生で、これから1人暮らしの家に帰るところ。

特に期待もしてませんでしたが、とりあえずダメ元で
「お腹空いてるんですよ、家で料理作ってくれませんか?」
と言うと、特に否定をしない。

おお?これはもしや!?

ナンパを開始して以来、初めて見る反応です。
いけるかもしれない....
非モテナンパ童貞なりに、直感で思いました。

そして、だらだらと何気ない会話をしながら、家の前へ着く。

「散らかってますよ~」
と言いつつ、俺を部屋にあげる。

おおおっ!!なんたる事態!
女の家に上がり込んでしまった!

 

ようやく来た、ビックチャンス。

 

当時、高校時代編で話しましたが、
出会い系であった女の子を自分の家にあげときながら、何も出来なかった。

もうその時の俺ではない。

必ず、ギラついてみせる。
そう、この界隈では、エッチしようと迫ることをギラつきというそうです。

とりあえず、家にあった残りものを食べさせてもらい、その後はソファーでくつろぐ。

期は完全に熟しているが、ナンパでは初めての経験。
2時間くらい無駄に過ごしたが、意を決してエッチに誘う。

「隣、行っていい?」
そして、そのまま抱き寄せる。
キスをする。キスなんて出会い系で何回もしているが、自分がナンパした、
タイプな可愛い子と出来るなんて。舌を絡ませるたびに、感動と興奮で脳がとろけていく。

そしておっぱいを触る。
俺はおっぱいが好きである。
形の良い、Dカップほどの胸がマシュマロのような柔らかさで俺の手のひらいっぱいに広がる。

 

 

 

そして、

夢にまで見た!

ナンパからの初ゲット!

それが悲願の初即!!

 

ナンパの最終目標。
とうとう実現しました。
このために、俺はここまで頑張ってきたんだ。

感動と、達成感と充実感で、涙が出そうになる。
こんな高揚感は、経験した事がない。
なんて、素晴らしいんだ。ナンパは。

 

ナンパ浸けの大学生活

 

 

大学生活は、ひたすらナンパ浸けの日々でした。
勉強とか、もはやどうでも良い。
早くナンパに出掛けたい!

もう、学校終わりまで待ちきれないから、
午前中からナンパしてその後午後の講義に出たりなんかもしてました。

成果は、あまり出ませんでしたね。
番号ゲットなり、連れ出しは比較的出来るようになったのですが、
肝心のゲットまでに行かない。

結局初年度はその1ゲットのみでした。

 

 

地蔵は相変わらず

 

 

年数を重ねて、地蔵は克服されたかと言えば、まったくそうではありませんでした。

元々が極度の人見知りであり、女性恐怖症。
1日中ナンパして、声かけ数はいっても10人程度。

自由に、声かけたい子に声かけ出来ない悔しさは半端ありませんでした。
やはり人の目が気になってしまうんですよね。
何度も、自分に「俺は俺だ。他人なんか関係ない」
と言い聞かせたとしても、いざ街に出ると委縮してしまう。
このフラストレーションはかなりありましたね。

 

 

あまりの不甲斐なさに涙を流す

 

 

あなたは、ナンパで涙を流した事はありますか?

俺はあります。
声かけれて10人と言いましたが、普通に3人とか声かけれない日もザラ。

長時間歩き回って、何度も女性の後を追っては声かけないストーキング行為を繰り返し、

「もっと人目の付かない通りにしよう」

スポットを変えても声掛けれず。

本当は何十人にも声かけたいのに。
声かければ声かけるほど結果は付いてくると。頭ではわかっているのに。

それでも、声かける事が出来ない。

人の目線。それもあります。
単純に女性にビビってるのもありました。

もうナンパ歴も数年になった。

いつまで、こんなことで悩んでるんだ.....

 

ある時、3日連続くらいで3声かけくらいしか声かけれずに帰宅した時。

悔しくって、情けなくって、

あまりの自分の不甲斐なさに涙が出てきました。

 

「くそ、、何で声かけれないんだ、、情けねぇ、、、」

極度の人見知り。女性恐怖症だった自分にはとてつもなくナンパはハード過ぎました。

ナンパ研究会の仲間達

 

ナンパ研究会。
今でいう、Twitterを主にする「ナンパ界隈」というやつです。

今では活動方向、合流要請なりをTwitterを通して行いますが、
当時は、ナンパ研究会というでかいサイトがあり、その中に
「仲間募集」という掲示板があってそこに書き込んで、捨てアド使って
合流したり、

ナンキングというブログランキングにブログを登録して、そこで個々にお気に入りの作者さんに
合流要請を出す。

みたいな感じで交流をしていました。

 

僕は大学1年生の時に当時読んでいたナンパブログの作者さん達数名に合流要請を出して、
週末予定が合った時にたまに一緒にストっていました。

 

そして、ブログを書き始めたのが、確か大学2年くらいです。

合流していたナンパ師の方から、

「ナンパブログ書いてみてはどうですか?ナンパ仲間も増えますよ」
と言われた事が切っ掛けです。

「そうだな、、書いてみようかな」

そしてナンパブログを始めました。
ナンパ研究会に入会規定とかはありませんでしたが、ナンパブログを書いて、
そこに登録すればナンパ研究会の仲間入りみたいな感じでしたね。

そして、日々のナンパ活動をブログに書いていく。
成果に乏しい地味なブログでしたが、愚直にひたすらやってくのが評価されたのか、
徐々にブログにコメントが来るようになっていきました。

・俺もその街でよくやってます!今度合流させてください

・その気持ち、めっちゃわかりますわ~

・頑張っていますね。応援してます!

・それ、めっちゃうけますw

等々、自分の書いたブログに反応がもらえるようになり、どんどん書くのが楽しくなっていきました。

そして、読者さんと合流する機会も増えていく。
その読者さんの仲間を、街で紹介してもらったりして、どんどんナンパ仲間は増えていきました。

 

・サラリーマンでひたすら女子高生をナンパし続けてる人や、
・処女だけを狙う処女ハンターや、
・「連れ出したらキスは絶対出来るよ」と豪語するキムタク似のイケメンや、
・夏祭りだけでコンビナンパ月間20ゲットしたという凄腕、
・俺と同じように成果は乏しいけどひたすら頑張っている人達など、

 

刺激を貰える存在、切磋琢磨出来る仲間達が増えて、

どんどんナンパが楽しくなっていきましたね。

 

それでも、成果が停滞

 

色々なナンパ師との交流、
声掛け数の多少の増加により、月1ゲットもままならなかった自分が、月1ゲットは
出来るようになりました。

年間にしたら12ゲット。
大学も卒業し社会人になり、仕事の傍ら月に1人新規の女の子とエッチ出来るんだったら
同期の会社の同僚と比べたらずっと良い思いをしていると思いますが、

ナンパ研究会のいわゆる凄腕と呼ばれている人達からしてみたら全然ショボい。
会社員しながら月に10ゲットしてる人なんてゴロゴロいたし、月30ゲットとか
理解不能な事やってる人も居ました。

今の界隈でも有名な、女好き氏、餓狼伝氏が台頭し始めた頃ですかね。
初代ナンパ塾のカリスマだったサンジ氏は、ちょうど逮捕された時期ですかねw

界隈のカリスマは、逮捕される系譜があります。

 

俺も、ナンパ歴はもう5年以上にもなっている。
年齢も、17歳からやっていて1番女受けが良い頃だ。

俺も凄腕になりたい。
こんなレベルで留まってはいられない!

 

ひたすらインプット。情報収集

 

ナンパブログに書いてある会話例や、
勉強になるサイトなど、片っ端からコピペしまくっていました。

これは大学時代からやっていた事ですが、それでも結果が出ないあたり
マジでセンスがなかったんだな~。と。

サンジ氏、女好き氏の教材も買いました。

ひたすら情報をインプットしていたので、逆にこんがりがり過ぎて消化しきれなかった
感じあります。

ICレコーダーで自分の音声も撮ったりしてました。
今もあるんでたまに聞いたりしますが、まぁ酷い。
センスのセの字もない。
むしろこんなんで月1ゲットしてるなぁと。

それでも、ひたすら雑魚なりに試行錯誤をしていました。

 

 

凄腕には2種類ある

 

ナンパ界隈では、ゲットしまくっている人を凄腕と言います。
しかし、凄腕にも2種類存在します。

20年近く、数多くのナンパ師と合流してこの目で見てきての事実です。

1つは、イケメンで容姿が良く、そのルックスに物を言わせてゲットしまくっている人。

そしてもう1つが、

イケメンもない、容姿もいまいち、しかし圧倒的なトーク力でゲットしまくっている人です。

イケメンが成功しやすいのは、わかります。
女だって付いていくならイケメンの方が良いはずです。

俺がこのナンパ界隈に入って、数多くのナンパ師と合流していく中で、
たびたび思う事がありました。

 

「この人、全然カッコ良くないのにやけにゲットしてんなぁ」

見た目とゲット率が、明らかにおかしい人が、確かに存在するのです。

・低身長、丸坊主、B系ファッション。バナナマン設楽似。
明らかに女受けしないだろうと思う人が、
「今日は2即です」
「女に貢がせて生活してるんすよ~」

・黒髪短髪と何の変哲もない髪型、中途半端なお兄系ファッション、かつ見た目がジミー大西似。
会社員の傍ら、「今月10ゲット行きましたわ」

・小太り、薄毛、課長ですか?と言わんばかりの老け顔。
それなのに、
「今日は3即行きました~」

 

ナンパ師は、だいたい最初の見た目など第一印象で、「まぁこれくらいの実力だろうな」
みたいな探りを入れるのですが、その予想をまったく覆してくる人達が、明らかに存在します。

 

俺自身、ナンパはトーク力だと思い、ひたすら話法なり心理学を勉強しまくっていましたが、
心の底では「やっぱイケメンじゃないと厳しいよな...」と半ば諦めに似た気持ちもあった事は事実です。

しかし、このような期待を良い意味で裏切ってくれる人々を目撃する度に、
勇気を貰っていたのは事実です。

 

これが、極めると言う事か....

 

 

「どんなトークしているのだろうか」

その秘訣をしりたい。
凄腕と呼ばれる人達はいったいどんなトークをしているのか。

俺は、積極的に、ナンパ師と絡むようにしました。
どうにか、そのヒントを盗む為に。

コンビも、積極的にお願いしました。
その際に掛かる費用など、全額負担する事も少なくありませんでした。
やはり凄腕からしてみたら、俺みたいな低レベルとコンビする事は
メリットもありません。

勉強代だと思って、そこは割り切りましたね。

そうして行く中、思った事は、

凄腕のトーク力は半端ない。という事。

凄腕と言っても、見た目で勝負していない方の凄腕です。
イケメンだけの凄腕は、正直トークを聞いても、

「なんだよ、こんなん俺の方が上手いじゃねえか」

と思う事が多かったです。
イケメンは、トーク力がそこまでなくても即れてしまうのです。
ゆえにトーク力を上げる必要もない。
そんな凄腕は結構多いです。

しかし、イケメンでない、完全にトーク力だけで勝負しているナンパ師の
話術は、物が違いました。

すべてが、計算されているのです。
それを肌感覚として才能でやっている人も居れば、きちんと心理学を勉強して
計算され尽くした構成を予め練っている人。

俺も、勉強していた気になっていましたが、話にならないほど糞レベルだと痛感しましたね。

科学の研究者、コンピューターの設計者などの知見は素人からしたら
まったく理解不能なレベルまでありますが、

「ナンパ」という学問も、極めたらここまでなるんだなと。

 

弟子入り志願

 

 

そして俺は、とある1人のナンパ師の方を師と仰ぎました。

その方は、心理学、特に潜在意識レベルの心理学を元に、
日々座学を繰り返していて、ゲット法は勿論、ヒモる方法、キープの方法など
幅広く研究していました。

俺も、心理学は好きで本も何冊も買っていましたし、潜在意識レベルの心理誘導
にかなり興味があったので、自然とシンクロしましたね。

その方は俺と同じく身長も低く、顔もイケメンでない。
明らかに技術でゲットしているタイプのナンパ師でした。

まず、そもそも学習効率の勉強からスタートです。
大学生活を適当に過ごしてきてしまった俺は、勉強するというスキルがそもそも
足りていませんでした。

そして、日々のナンパ結果を家に持ち帰って反省。そこから改善点を導き出して
次のナンパに試す。
所謂PDCAのサイクルですね。
ここを徹底的にやりました。

路上にもノートとペンを持って出てましたよ。
上級者会という、ガチでナンパを研究する者だけが入れる会も設立しました。

俺と師匠を含む、他数人でカラオケ借りて、ひたすら意見を言い合い勉強しました。

 

 月間30ゲット到達

 

 

そんな感じでガチでナンパを極めていくと、色々な事が見えてきます。
今までイケメンじゃないのにゲットしまくっている人達のトークのその本質が、
手に取るようにわかるようになります。

トークを徹底的に因数分解するという癖を身に付けていると、
そのトーク構成がどのような意図をもって構成されているか見抜けるようになるんです。

これはビジネスでも一緒ですね。
余談ですが、この研究癖が、仕事にも大いに役に立ちました。
いかに今まで決められた仕事をただ淡々とこなしていただけか。

仕事においても、取り組む姿勢が甘かった事を痛感しました。

営業が上手い奴がナンパも上手い傾向にあるのは、
何も社交性があるだけではないです。
心理誘導を考えてトーク展開する癖があるからです。

やり手のキャッチセールスマンもそうです。
稼いでる人間は、並行トークからクロージングまで徹底的に考えています。

 

ナンパにおいては、トーク力も大事ですが、段取り力というもの大事です。
連れ出す店の立地、時間配分、その導線も全て計算尽くしています。

 

ナンパに対してより真剣に向き合った俺は、
みるみる腕を上げていきました。

初の月間5ゲット到達。
そして月間10ゲット。

当時は、女好き、餓狼伝、スト哉等々、ゲット数のインフレが起き出した時期。

月間30ゲット行ってようやく凄腕と認められるみたいな風潮が存在しました。

俺は絶対に負けないからな。

上記にあげた彼等は、主にコンビナンパで数を稼いでいましたが、

もともと俺は自分の力を試したいタイプ。自己成長がモチベーションでやっているので、
全部ソロナンパで達成してやろうと考えました。

そして、27歳の時、オールソロナンパで月間30ゲット到達。
勿論会社員として働きながらの成果です。

およそ約10年前、18歳でナンパを始めてから、10年掛かりました。
クラスの女子とも話せない。親戚とすら話せないという深刻な女性恐怖症だった俺が
ストリートナンパのみで月間30ゲット達成するまでに至りました。

 

「俺もここまで来たか....」

振り返ってみると、感慨深いものがありましたね。

 

そして現在まで

 

 

その後も狂ったように街に出続けました。

学生時代にあれほど切望したセックスが、今やマジで飯食う感覚でやれます。
ただ、ひたすらやりまくりました。

累計ゲット数は1,000ゲットは余裕で越えていますね。

この間、ナンパ以外でのゲットも多数あり、当初のクラスの女子に話掛ける為にナンパした
という目標は、日常の女子に話かけるに変わりましたが実質達成しました。

かなり面白い話も色々あるんですが、もう糞長いですよね?w
また別の機会に話そうと思います。

この長い自己紹介を最後まで読んでくれた方、有難うございます。

 

俺は今2021年現在、歴20年くらいになりますが、現在アラフォーになっても、
変わらずゲットしまくっています。
さすがに性欲が下がってきてるので、もう月間30ゲットみたいな事はしませんが、
月間10ゲットはノルマとしてやっています。勿論30ゲットする自信も今でもあります。

しかし、ナンパの反応、初見のストリートでの反応というのは、さすがに落ちてきました。
18歳の少年と、アラフォーのおっさんが声かけるのでは、否がおうにも女性のリアクションも変わります。

若ければ、若いほど、反応は良いです。
10代の肌とか、明らかに違いますからね。
そこから、20代、30代と徐々に劣化していくにつれて、ナンパの反応も比例して落ちていきます。

現に、俺の当時のナンパ仲間はほとんど引退しました。
まぁ結婚して引退も居ると思いますが、純粋に路上で美味しい思いが出来なくなったから
という側面がほとんどでしょう。

俺は、18歳~25歳という見た目の全盛期、女性の反応全盛期にまったく芽が出ず
くすぶっていました。

元々が圧倒的な女性恐怖症、コミュ障からのスタートだったので、かなり苦労しました。

しかし、そんな俺でも、ここまで変わる事が出来たんです。

そして今、その培った技術は決して見た目食い付きだけや、一過性のものによるのではなく、
アラフォーという誰もが引退を決意する年齢においても、通用しています。

厳密に言えば、35歳を過ぎてからのナンパ技術というのは、また1段と高いレベルが要求されます。

俺は今でも、分析、考察を欠かしません。
年齢の変化はもちろん、時代の変化により女性の価値観、社会全体の価値観は変わってくるので、
絶えずこちらもアップデートをしていかねば対応出来ません。

 

・元々のイケメン、陽キャなどではなく、何年も結果が出なかった俺だからこそ伝えれるものがある

・歴20年の中で、若者~アラフォーと反応の変化を経験してきた俺だから伝えれるものがある

ずっと、いちプレイヤーとしてナンパだけをやってきましたが、
そろそろ培った技術を後世に伝えたいなと思ってきたところです。

そんな中、昨今の起業、副業ブーム。
安易に経験値も実力もないような人間が簡単にナンパ塾、ナンパコンテンツを
出している現状に、うんざりしていたのもあります。

そんな簡単に、ナンパというものは極められません。

 

 

多くの人々は、ナンパを極めずに引退していきます。
俺自身も、まだ極め切ったとは思っていません。
絶世の美女を、どんな状況においても口説き落とす事が出来ない限り、満足は出来ないでしょう。

しかし、ナンパも学問や、武道と同じです。
やり込めばやり込むほど、確実に腕は上がっていきます。

そして、その先に得られる対価は、一般人からしたら到底信じられる事もないほどの、
ハーレムが存在します。

そして、それに付随してくる、圧倒的な男としての自信。

これを身に付けるのと身に付けないのとでは、人生がまったく変わってくる事でしょう。

ナンパを愛して、本気になって20年間取り組んできたものとして、ナンパの可能性というものも
伝えていきたいと思っています。

また、街でストリートナンパに明け暮れた経験は、かけがいのない財産になります。
俺自身も、この歴を振り返った時に、若い頃ストリートで仲間達と声かけに勤しんだ
思い出は、何ものにも代え難い大事な思い出です。

そして、その青春は40代を迎える今後も続いていく事でしょう。

じいさんになった時に、「あの頃は充実してたな~」

 

と、悔いのない人生を送りたい。

 

そう思っています。

 

50歳からナンパを始めた人間を知っています。
今現在55歳なのですが、必死に美容、技術を勉強して今ではとても55歳には見えないほど
若返りましたし、結果も出しています。

ナンパを始めるのに年齢は関係ありません。

やりたいと思ったら、その日から悔いなくやり切るべきです。

 

俺は残りの人生懸けて、ナンパの楽しさ、素晴らしさを伝えていきます。

気軽に、声をかけてください。

共に、青春しましょう。

 

 

長い自己紹介となりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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